2021.07.25 08:23

あえてコンセプトしない

お久しぶりです。
時間が空いたタイミングで何か文章が書きたくなり、おもむろにこの化石のようなブログを動かしました。

最近、何やら自分の中に言い知れぬ感情が蠢くことがあり、そしてそれを説明するには能力が足りないことを知り、不甲斐なく悲しくなることがある。往往にして人生というものはそういうもので、喜怒哀楽など感情なんて神が想定していなかったものだろうし、我々が確保している事実は生きていることと、死ぬことであるだろうし、そんな変位に構っていられるほど人生は長くないけど、でもやっぱり気になるし説明したいし、の繰り返しである。

作品にはコンセプトがつきものらしい。
ありきたりな引用で申し訳ないが、デュシャンの「泉」なんかはそこら辺の便器(日本人目線で言えばあまりベタなものではないが)にサインを書いただけのものである。
どこが芸術なの?という話であるが、そもそもそれがコンセプトなわけである。
芸術とは何かを考えさせることこそがこの芸術なのであり、そこでその役目を担ったのがただの便器なのであった。らしい。
なるほど。
創作物にコンセプトはつきものだ、くらいの認識であったが、そんな生易しい話ではない。
コンセプトが全てではないか、ということに徐々に気がついてきて辟易。

そして、自分自身の悩みにも気づく。
自分にはコンセプトがない。
多分、全てにおいて自分のコンセプトが説明できない。
それが悩みだということに今更ながら気づく。
そして、結構かなりそれにダメージを受けている。
先ほども涙を流しかけた。
アブナイ。

どうしようか。
ちょっと考えます。

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